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インタビュー ~東日本大震災後の外国人に聞く~ <エチオピア>

Gelaye Tesfaye(ガライヤ・タスファイエ) [エチオピア]

笠間市在住の陶芸家。

NPO法人「エチオピアの未来の子供」の理事長を務める。

※NPO法人「エチオピアの未来の子供」とは、エチオピアが飢饉に襲われたときに設立された団体。恒常的な食糧不足を解決し、地域経済の自立と生活改善に寄与できるリーダー的な人材を育成することを目的として、農業支援(農業技術の改善等)や、それと関わる地域のインフラの整備を主に行っている。

   

ガライヤさんと作品:津波で亡くなった人たちをいつまでも忘れないようにと願いを込めて震災後に製作。

国旗:緑・黄・赤の3色は、自然・平和・国民の勇気と情熱を表している。


*いつ来日しましたか。きっかけは何ですか。

23歳から27歳まで、私はエチオピアで工業学校の教師をしていたのですが、エチオピアには工場もなく、工業は盛んではありませんでした。そこで、工業と似ていると感じた焼き物のほうに興味が湧くようになりました。

そして、1975年2月13日、ユネスコの奨学生として日本に学びにやって来ました。東京のデザイン学校で2年半勉強した後、もっと学びたいと思ったので、益子で1年間下働きでしたが仕事をし、それから笠間の窯業指導所に移って3年間勉強と研究をしました。その後そのまま笠間に残り、現在に至ります。

*日本の印象はどうでしたか。

来日したのが冬だったので、とにかく寒かったですね。また、日本の食事もあまり口には合いませんでした。エチオピアでは、イタリア系の料理やスパイシーなものが多いので、日本の料理は薄味に感じました。でも、お寿司は美味しかったです。

それから、先進国にも関わらず、日本人の多くが英語を話せないことには驚きました。日本人はもっと柔軟に、行動的であるべきだと思います。組織やシステムに縛られているなかで、日本人らしさでもある几帳面できちんとした性格も加わって、日本人は固くなりすぎているように感じます。もちろん、全てが悪いのではありません。もう少し余裕を持って、自信を持ってほしいということです。余裕を持つことで、自分が豊かになります。豊かになれば、自信がつきます。自信がつけば、もっと広い世界にでることが可能となります。日本人はもっと他国を知るべきです。それによって、さらに日本の良さを知ることができると思います。私は日本人に、平和であり豊かであるこの日本の良さを、もっと自覚してほしいのです。

*そうですね。日本人がもっと世界を広く見るようになれば、さらに多くのことを考え、感じることができるのだと思います。日本人の奥様を持つガライヤさんですが、国際結婚についてはどのようなお考えを持ち、生活しているのですか。

私は結婚して妻と息子がいますが、日本に来た本来の目的は焼き物をすることです。そのプロセスにおいて、+αとして妻を得て、子どもを授かったと思っています。私は、友人のような家族をつくろうと思い、またつくってきました。私の考えを妻や息子に強制するのではなく、お互いに個々の意見を尊重していきたいと思っています。例えば、私の故郷であるエチオピアには、妻や息子を連れて行ったことがありません。そればかりか、私自身がしばらく両親に会っていません。妻や息子が私の両親に会いたいのであれば連れて行きますが、無理に行かせようとは思いませんし、その代わり、他にやりたいことや行きたい場所があれば、自分の思うようにどんどん行動すればいいと思います。また私自身は、エチオピアの実家に帰ることよりもNPOの活動や陶芸を優先させたいと思うのです。私はこうなることを想定して結婚しましたし、それで良いと思っています。それだけの覚悟をした上で独立し、やってきたことなので、自信や責任を持つことができるのです。ただ、全てのことを気にかけていると、全てが中途半端になってしまいます。だから私は優先的に事柄を選んで実行しているのです。

*3月11日の東日本大震災のときの様子を聞かせてください。

地震が起こったとき、私は1人で家の地下にある工房で作品を手掛けていました。揺れが激しくなるにつれ、作品が次々と落下し、ただ事ではないと思い、1階にいた妻を連れて外へ飛び出しました。

私は4時頃に水戸へ行く用事があったので、とりあえず車で笠間から水戸へ行きました。水戸へ行く道すがら、道路のひび割れや陥没、信号が停止している様子を見て地震のひどさや怖さを実感しました。

幸い、家には自家発電機があり、水も井戸水なので、電気にも水にも困りませんでした。

無くしたものや失ったものも、ほとんどありませんでした。

*震災後、考えたことはありますか。

津波や原子力の恐ろしさを目の当たりにして考えたことは、人間は人間がコントロールできないところまで入ってはいけないということです。津波が来るとされる所まで、人間はテリトリーを広げて家を建て、住んでいました。原発においても、人間の力を過信して、安全確認を怠って、コントロールが効かない状態になっていました。そのために、今回のような大きな災害となったのです。

だからといって、すぐに止めたり壊したりできるものではないことは分かっています。海岸沿いに住む人々や、原子力発電所で働く人々、その電気を利用している人々がいます。こうやって繋がっているものだから、慎重に徐々にやっていかなければならないと思います。今すぐできることは、安心して暮らしていくためにチェックしていくことです。安全点検や避難訓練といった練習をすることが大切だと思います。そうやっていきながら、徐々に代替できるものを用意し、代替していくことです。

エチオピアは山国で、占領されたことのない独立国です。そのため、プライドがあります。山国根性です。日本も島国で、山国根性と似かよった島国根性がありますよね。この地震での被害は多大で、復興には長い期間がかかると思いますが、島国根性のある日本人ならその我慢と根性で、絶対に乗り越えていけると思います。私は山国根性のある国の出身者として、この島国根性のある日本の力を信じています。

もう1つ考えたことは、地震は人間の天敵として、大切なものだということです。確かに今回の地震で、たくさんの人々が被害や悲しみを受けました。しかし、一方で気付かされたこともありました。日本はとても平和で良い国です。しかし、震災前まではその平和に慣れすぎて、当たり前のことだと思っていました。この平和が大切だったということ、貴重だったということに、この震災で、私たちは気付くことができたように思います。そして、それを大切にしていこう、またつくっていこうと思い、人々は交流するようになり、繋がりができるようになりました。このことをずっと忘れずにいられたら、日本はもっと良い国になると思います。

*将来の夢を聞かせてください。

私は今まで、焼き物や、NPOの活動において自分も従事している日本の農業技術を母国に伝えるということをしてきました。それらの仕上げをすることが、私のこれからしていきたいことです。私は、日本の農業の技術を生かして、エチオピアで農業指導をし、エチオピアが豊かになっていけばいいと思います。これからも、陶芸をして、自分で農業をやりながら、同時に教えていければいいなと思っています。

*エチオピアを旅行するときのアドバイスをお願いします。

大切なことは自己管理と準備です。それさえできていれば、気を付けることは特にありません。私も今回エチオピアに行くのですが、高度があるので、日本に慣れたこの体でそのまま行くのは辛いです。走りこんだりして鍛えて準備しています。

エチオピアに行ったら、観光名所を巡るのもいいですが、普通の町や村で暮らす人々の様子といった日常を見てほしいです。また、団体ではなく、2~3人位でゆっくりと旅行してほしいと思います。

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