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インタビュー ~東日本大震災後の外国人に聞く~ <フィリピン>

平野ソリータ(フィリピン、首都マニラ出身)

水戸市在住、主婦

   

国旗:白は平等、青は平和、赤は勇気、白い三角は自由を表す。


*いつ来日しましたか。また、きっかけは。

1992年6月に来日して、もう19年になります。

私が、フィリピンの大学を卒業してマニラで働いているときに、友達の紹介で、日本人男性と知り合いました。彼はエンジニアで、フィリピンに駐在していました。

フィリピンでは、昔から日本人男性は優しいのは最初だけというイメージが強かったので、私は慎重に彼と付き合っていたのですが、何度か会っているうちに彼の優しさや誠実さにひかれ、お互いに結婚を考えるようになりました。でも、国際結婚ということもあり、宗教の違いや両親の反対など、結婚するまで大変でした。彼は日本に帰国してからも、結婚の準備のために仕事まで辞めて、何度もフィリピンに来てくれました。私の家はクリスチャンなので彼もクリスチャンになり、1991年の6月にやっとフィリピンの教会で結婚することができ、翌年の6月に日本に来たのです。

*そうでしたか。日本の印象はどうでしたか。

私たちは、主人の実家がある水戸に家を借りて住みました。最初、私は日本語が全然できなかったので、とても苦労しました。日中、主人は仕事でいませんでしたし、私には友達もいなかったので、寂しくてフィリピンに戻りたいと思っていました。でも、子どもが生まれて、幼稚園生になる頃には、園児のお母さんたちと友達になり、だんだん楽しくなりました。私は子どものために学校の役員もやりましたし、忙しい主人に代わって町内会の班長も務めましたが、日本人の付き合い方や気遣いにはびっくりしました。フィリピンでは、近所の人とは挨拶を交わす程度で、日本のような「ご近所付き合い」はありませんから。

また、日本の文化である墓参りや、お盆と正月の過ごし方にも驚きました。実家に親戚が集まり、その家の主婦が、料理や接待のために台所に長時間立つことになり、「疲れて大変だな」と思いました。でも、主人の母はいつも私に日本の料理やマナーをやさしく教えてくれましたので助かりました。私は外国人ですが、姑とは日本人同士みたいに仲良くしています(笑)。主人の両親は私にとても親切にしてくれますので、これからも大事にしていきたいと思っています。

*東日本大震災のときの様子を聞かせてください。

ちょうど犬の散歩に行こうと、エレベーターでマンションの5階から、駐車場に降りた所で、あの地震に遭いました。駐車場の車は、上下に弾んだり、左右に揺れたり、恐ろしい光景でした。私は何が起こったのかとびっくりして、犬を抱きながら駐車場に座り込んでしまいました。

フィリピンでは地震がないので、来日したばかりの頃、私は地震の度にいちいち驚いていましたが、日本に長く住むにつれ平気になっていました。でも、今回は今までに経験したことのない揺れで、日本はこれで終わりかと頭の中はパニックでした。子どものことが心配になり、携帯に電話しましたがつながりませんでした。幸い二人の息子たちは、近くに出掛けていて、無事帰宅してほっとしました。

高校を卒業したばかりの長男は、友達と外出先から自転車で無事帰宅し、中学生の次男も上履きのまま学校から慌てて帰ってきました。主人は仕事で県外に出掛けていたので、連絡が付いたのは夜になってからでした。

*家族と連絡が付くまで心配でしたね。それからどうしましたか。

長く続いた余震が少し収まってから、恐る恐る家の中の様子を見に行くと、何もかも倒れていて、足の踏み場もなく驚きました。私たちは、ガラスの破片などで怪我をしないように土足で家に入り、毛布や食べ物を車に運び、その夜は長男の友達も一緒に5人で車の中に泊まりました。ちょうど、地震の前に夕飯のカレーライスを作っておいたので、車の中で冷めたカレーを皆で食べました。他の住民も、車の中で寝たようでした。三日目にはマンションに戻れましたが、しばらくの間は余震がなくても体が揺れているような気がして食欲もありませんでした。

*ご主人のご両親は大丈夫でしたか。

はい。市内にいる夫の両親の様子が心配で、すぐに見に行きましたが、二人とも無事だったので安心しました。フィリピンの親戚とはなかなか連絡がとれず、14日の夜中になってやっと電話がつながりました。現地のテレビで、地震やつなみの様子を見て非常に心配していたようで、電話口で泣いていました。

私の兄弟からは、「フィリピンに早く帰ってくるように」と言われましたが、家族をおいてそんなに簡単に帰れるものではありませんので、私は水戸に残り頑張りました。

*震災後、困ったことはありましたか。

困ったことはたくさんありました。地震後は断水や停電が何日か続き、とても不便でしたが、私の通っていたスポーツセンターで、シャワーを利用できたので助かりました。

マンションのエレベーターも故障し、階段で5階まで上り下りするのは疲れました。スーパーでは買い物客の長い列、ガソリンスタンドでも車が行列をつくり、何時間も待たないとガソリンを入れられない状態でした。また、原発の心配もあり、用心してしばらくは洗濯物を家の中で干していました。

そんな中、長男は大学に入学するため東京へ引っ越しましたが、春休み中の運転免許取得も地震のために中断し、夏休みに教習所に通わなければなりません。

いろいろなことはありましたが、未だに避難所暮らしをしている方たちのことを考えたら、自宅に暮らせるだけでもありがたいと思います。

*原発についてどう思いますか。

私には専門的なことはわかりませんが、日本は地震の多い国なので、これからは、原発に代わる安全な電力を考えてほしいと願っています。

*最後にソリータさんの将来の夢を教えてください。

子どもたちの手が離れたら、私は日本の大学に入ってもっと日本について勉強したいと思っています。

*それはすごいですね。頑張ってください。今日はありがとうございました。

水戸市国際交流センターにて。(H23.7)

 

 

<番外編>「フィリピン旅行の楽しみ方」をソリータさんに聞きました。

フィリピンの田舎は、自然が美しく海も山もきれいなので是非行ってみてください。

買い物は、マニラのショッピングセンターがお勧めです。(物価は安い。)

旅行の時期は、日本の秋のような気候の12月がいいと思います。(長袖がちょうどいい。)

*高価なものは身に着けない、夜の外出はなるべく控えるなどに留意して楽しい旅を。*

 

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