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インタビュー ~外国人から見た日本、水戸~<大韓民国>

朴美貞(大韓民国)

プロフィール
水戸市在住,
一般社団法人茨城県観光物産協会勤務

*日本に来ることになったきっかけを教えてください。
私はソウルで生まれましたが,育ったのはプサンでした。当時は,日本のNHKと鹿児島放送を観ることができたので,三浦友和や山口百恵のドラマや新御三家の西城秀樹や郷ひろみ野口五郎などに夢中でした。そして日本語の響きがとてもきれいで,世界で一番だと思いました。私は日本の古い教科書を手に入れて,独学で勉強していました。
学生の頃は,夏休みになると,日本人のペンパルが何人かいたので,東京に集まり,二週間,東京を満喫しました。韓国でコツコツ勉強しているよりも,日本で友達と交流したほうが,短期間でも日本語の勉強になりました。
韓国の大学院の博士課程を修了して,母校の大学で常勤講師として働いていましたが,その頃,アメリカに留学し博士号を取得して帰国した人がいました。私も留学したいと思い,それなら日本にと思いました。

*留学について,ご家族は賛成してくれましたか
韓国では,「お皿と女は外には出してはいけない」という言葉があって,両親は「留学したいなら,結婚しないと行かせない」と言いました。
その頃,韓国では,約90%の人がお見合いで結婚していました。お見合いを生業としているおばさんたちがいて,独身の男女に調査をして,A,B,C,Dとランク付けをします。つり合いのとれた男女に見合いをさせて,結婚が決まれば,礼金がもらえるのですが,ランクによって金額が違うのです。
私は,ちょうど筑波大学に留学中の韓国人とお見合いをして決まったので,韓国で結婚式を挙げてから,1990年に筑波大学院の研究生として来日しました。その後,子育てをしながら博士課程を取るために8年もかかりました。

*それは大変でしたね。来日して驚いたことはありましたか。
私は日本に憧れていましたが,芸能界のことしか知らなかったので,実際住んでみると,文化の違いに驚くことがたくさんありました。
主人の母の親戚が何人か福島に住んでいるので,結婚の挨拶に行ったときのことです。
私は韓国式に,韓服を着て座る時に片膝を立てて座ったり,食事の時に器を置いたまま食べたりしました。その時は,礼儀正しくやってきたと思っていましたが,あとで,私の母から電話があり,私が福島でどんなことをしたのか聞かれ,叔母たちから行儀が悪いと言われたというのです。戦後,韓国に戻らず日本にずっといる叔母たちには,逆に韓国式が分からずに驚いたのでしょう。

*それでどうしましたか。
私は,直接叔母に電話して,何が悪かったのかを聞いてわからないことは教えてくださいとお願いしました。それに結婚祝いのお返しをしていませんでした。韓国では,すぐにお返しはしないで,今度その方の家にお祝い事があったら,倍のお返しをするのです。近い国とはいえ生活習慣が全然違うので,本当に驚きました。

*そんなに違うのですね。子育て中で困ったことはありましたか。
そうですね。子どもが幼稚園生の頃,子どももいじめられていたようですし,私も他のお母さんたちとうまくお付き合いができませんでした。送迎のときに,韓国式にドレスアップをして行きましたが,あの人は何であんなにおしゃれをしてくるのかと思われていたみたいです。ある日,声をかけてくれたお母さんがいて,朴さんは話すと面白い方なのねと,言われました。私は友達になったつもりでいたのですが,その友達も他のグループといると態度が変わるので,なぜかわかりませんでした。
日本人は勤勉で礼儀正しいと思いますが,裏表があって難しい面もありますね。今では,いろいろな文化の違いも理解できて,子ども達も成長し,私も地域に溶け込んで,仕事やボランティア活動もしています。

*お子さんたちは,活動的なお母さんをどう思っていましたか?
24歳から毎日4時間以上寝たことがありません。どんなに仕事や勉強が忙しくても,家事や子育てはきちんとしたいですし,特に子どもに関しては手を抜いたことがないです。娘が大学入試の面接で,尊敬している人を聞かれ,母だと答えたことがあります。なにがあっても,そう言ってもらえるだけで,自分の人生が成功したと思えます。

*子育て家事,そしてお仕事やボランティアもして素晴らしいですね。
ボランティアや仕事が本格的に始まったのが,二番目の子どもが1歳10か月のときでした。仕事へ行こうとすると,息子が抱きついて泣くので,「ママは仕事に行った方がいいかな?それとも仕事やめようかな?」と娘に聞きました。すると,「ママは仕事やって。私のために長い時間を犠牲にして,仕事もしてくれて,ありがたかった。でも私は小さかったからなにも覚えてないんだよ。だから弟も大きくなったら覚えてないだろうし,今やめたら,子育てが終わってから仕事がないかもしれないし,そうして時間をつぶしているお母さんよりも,仕事に頑張るお母さんの方がいいよ。私が弟の面倒を見るから,お仕事行ってきて!」と言いました。それから,よし!と思って出かけられました。本当に自慢の娘です。

*すばらしいですね。現在のお仕事について少し教えてください。
毎日とても楽しいです。来日前からずっと本職は教師で,これこそ天職だと思っていました。引退を考えていた時,茨城県の韓国語の翻訳コーディネーターに応募したことがきっかけで,県に関わる仕事を始めました。

*そして今,茨城県観光物産協会で働いていらっしゃいますね。
はい。一般社団法人として県と協力して種々事業を行っています。茨城に約29年住んでいますが,協会に入る前は,茨城についてなにも知りませんでした。でも観光マイスターの資格を取るためにした勉強と仕事を通して,県全域を走り回って,見て,食べて,茨城のいいところをたくさん知ったので,韓国の人にも茨城のことをもっと知ってほしいと強く思いました。そこで,韓国向けのパンフレットなど作りました。ホームページでの発信やFacebookなどのSNS発信もしています。団体客のみならず個人旅行者ともSNSでつながり,旅行プランやモデルコースを提案します。
しかし,韓国人が茨城といって真っ先に思うことが,放射能と常総市の洪水というマイナスのイメージです。韓国側の認識を変えて,茨城の知名度を上げる取り組みをしなくてはなりません。韓国メディアを呼んだり,ソウルの旅行博覧会に出たりして,茨城をPRしていきたいです。

*楽しみながら,やりがいもありますね。
あちこちに声をかけて,済州(チェジュ)島へのチャーター便を就航させることもできました。今度は,茨城空港発着のソウルへの定期便の就航に向けて,力を入れています。将来的には,旅行管理業者の資格を取って,韓国の旅行会社からの依頼に対応できるようにしたいと思っています。

*将来の夢を教えてください。
今まさに,夢に向かって一歩踏み出したところです。
実は,茨城県に総合的なレジャー施設を作りたいと考えています。茨城はできないことが無いくらい良いところですから,家族全員がゆっくり楽しめる施設ができるといいです。
その後,水戸市内に韓国式ホテル*を作ってみたいです。できるかどうかはわかりませんが,みなさんに宣言してしまったので,実行するしかありませんね。口に出したほうが,努力できますから!こんなにたくさんやることがありすぎるので,あと10歳若かったら!なんて思います(笑)。
*韓国式ホテル…韓国料理レストランや韓国マッサージがあり,インテリアにもこだわった韓国風おもてなしが味わえるホテル。

*韓国に旅行するときのお勧めを教えてください。
大都会のソウルも人気ですが,みなさんにはぜひ地方へ行ってほしいです。
全州(ゼンシュウ)の韓屋村は,実際にそこの生活者の様子もわかるので,面白いと思います。また,郡山(グンサン)にある日本人村もおすすめです。
今,韓国では,このような小都市の地元に溶け込んで旅をすることが流行っています。最近はツアーだけでなく個人旅行でも,日本語学科のボランティア学生が案内してくれることもあるので,言葉に困ることなく楽しい旅行ができます。本場の食文化もぜひ知ってほしいです。韓国料理は辛いイメージがありますが,本当の宮廷料理は辛くなく,とてもおいしいです。今は第三の韓国ブームともいわれています。せっかくの機会ですから,観光業に留まらず,政治的にも韓国と日本が仲良くなればいいと思います。日本にいる私個人としても,強く願っています。

*今日は貴重なお話をありがとうございました。            2018年6月

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