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インタビュー~外国人から見た日本、水戸~<ハンガリー>

クボビツ・イムレ(Kubovicz Imre)さん

プロフィール: ハンガリー出身。2018年から水戸市に在住。

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<ハンガリー国旗>13世紀ごろから赤白の二色旗が用いられ始め, 1956年から現在の三色旗になった(いつから緑が加わったのかは不明)。赤は血、白は純潔、緑は希望を表す。

 

*どうしても話題はまず新型コロナウイルス感染症になります。

今は在宅勤務が続いていて,週1くらいで必要に応じて出社しています。

毎日,日本国内の感染者数の動向を見ていますが,陽性者が4月のピーク時くらいに増えていますね。でも死亡者数は増えていないのは医療体制の準備ができて余裕があるのか,日本はそういう意味では安全と言えるのではないでしょうか。

ハンガリーも大丈夫。対策も取れて、早いうちに抑えることができました。

*ハンガリーの故郷のこと,そして日本語に興味を持ったきっかけを教えてください。

故郷はハンガリー東部のヘベシュ(Heves)です。私が生まれたのはブダペストとヘベシュの間のHatvanという町で,そこはブダペストから60㎞ほどの距離なのですが,ハンガリー語で60のことをhatvanというのです。町の名前は距離を表しているわけじゃなくて偶然ですが,面白いですね。

16歳のときに空手を始めましたが,先生はハンガリー人で日本語も全くわかりませんでした。ハンガリーの大学では日本語と日本文化を専攻しました。世界中の言葉が一覧になっている本があって,それを見ていて,もし日本語という,この言語を自分が会得したら,今まで行ったこともない日本ですが,きっと世界は広がるだろう,と思って日本語を選んだのです。

*その日本語学習はいかがでしたか?

日本語専攻には入学時に20数人の学生がいましたが,学習がハードで転部する学生もいましたし,5年間の専攻中に厳しい試験があって,学生はふるい落とされるんです。2年目で日本語能力のテストがあって,そこで半分くらいに……。私も2回目の試験でパスしたのですが,4年目でも試験があって,最後は6人になっていました。

当時,日本人に会ったことはありませんでした。大学で日本語を教えるハンガリー人の先生は宮本武蔵の『五輪書』を普通に読んでハンガリー語に翻訳しているような,高い日本語レベルでした。

まだインターネットもないし、日本語の本もそれほどなかった。それで名刺1枚手に入ると,それを大切にして,その名刺に書かれている,ちょっとした言葉一つ一つを調べて覚えました。そういう時代です。

*ずいぶん厳しい日本語学習だったのですね。

それが今では,日本語指導も当時より甘くなっているようです。アニメやコスプレなど,日本に関心をもつ若者が多いですが,私のときは,まだそれ以前の世代ですね。空手だった。古典もとても面白いと思いますし,夏目漱石の『吾輩は猫である』とかも読みました。漢文も勉強しましたが,その勉強はあきらめてしまいました。『源氏物語』もハンガリー語で通読しました。いつか古文も勉強したいです。でも今は音楽が趣味で,クラシックギターに凝っています。

*そのようななかで,初来日のきっかけを教えてください。

2001年に日本政府(文部科学省)の奨学金を得て,大阪教育大学で1年,勉強しました。ハンガリーで日本語を勉強していたので,ある程度の会話はできましたが,スーパーで商品の説明を読んでも意味がわからず,それを一つ一つ調べて大変でした。大阪に行ったときは関西弁も勉強したいと思って大阪では話せましたが,今ではもう忘れてしまったというか,関西弁を聞いて真似ることはできても,ちょっと恥ずかしいですね。

*ハンガリーで日本語の勉強をして,大学を卒業してからは,どうされたのですか?

ハンガリーは内陸国で海外との船舶運輸はドイツ経由となりますが,ヨーロッパは,今は一つの経済圏ですので高速道路などで西ヨーロッパととても容易につながっています。ハンガリーは社会主義経済下でも工業が発展し,その後,日本の自動車産業が進出してきました。そこで私は大学を卒業して,ハンガリーの日系自動車製造関連企業で働きました。日本にも出張で何度か来たことがありました。ハンガリーはドナウ河クルーズなどで日本人観光客が多く,観光ガイドの資格も取りましたし,高校とかで日本語を教える資格も持っていますが,そういう仕事はまだしたことがありません。

*奥さまは日本の方ですが,結婚のエピソードなどお聞かせください。

妻とは,最初はメル友で遠距離恋愛でした。知り合ってから妻もハンガリーに来てしばらく暮らしたあと,一緒に日本で暮らそうと決意して,2013年の夏,沖縄に移住しました。沖縄は妻が以前,暮らしたことがあったのです。それから5年半の沖縄での生活は,苦労したこともありましたが,今となっては,いろいろな経験もあって,とてもよい思い出で,沖縄にまた戻りたいと思うことがあります。沖縄の人はとてもフレンドリーで積極的。すぐに友だちになれます。とても明るい人が多いです。沖縄では,地元の人でさえフルタイムで安定した仕事に就くことは容易ではありません。また給与水準も決して高くないのですが,商品価格だけは内地並みですので,物価高と感じます。またインターネットで買い物しても送料が沖縄だけ高いなどプラスαの支出もあります。沖縄で息子が生まれて,妻の郷里の水戸に暮らすことにしました。沖縄を離れるのはとても辛かったです。

*水戸での生活はいかがですか。

水戸は東京に近くて便利ですし,暮らしやすいところだと思います。幸い,安定した仕事が見つかりました。働き方とか,沖縄と随分と違いますね。でも,水戸の冬はよく晴れますが寒いです。ハンガリーも,冬は暗くて太陽がほとんど出ない日が続きます。それで,冬になると沖縄に戻りたいと思います。離れてみると沖縄はいいところです。また将来,沖縄に住みたいですね。

*ハンガリーというと,ハンガリー人(マジャル人)がウラル山脈の方からヨーロッパに移り住んだとか,言葉もモンゴル語族であるとか,名前が姓-名の順だとか,ヨーロッパのなかでアジア系の影響があるというイメージで,日本にはハンガリーに親近感を覚えるところがあるようです。ハンガリーに行ったことがない人でも,そうです。

そうですね,昨日も自動車を車検に出した時,その修理会社の人とちょっと話したら「ハンガリーは100年前に何々があったね」「モンゴルと戦争したね」とか私より詳しい。(笑)

妻は初めてハンガリーを訪れたとき,そういうハンガリーの背景は全く知りませんでしたが,町を歩いているとアジア系の顔をしている人がいたり……親戚にアジア人がいるわけじゃないのですが,長い歴史のなかで,ほんの少しでもアジア系の血がまじっているのでしょうね。

*ハンガリーというと,日本では音楽でリストやバルトーク,コダーイなど作曲家が有名ですね。私(インタビューアー)は小学生のときに,ルービックキューブが日本で最初のブームになって,それを発明したルービック博士がハンガリー人で,それでハンガリーを初めて意識しました。

ルービック博士(ルビク・エルネー)はもちろん有名ですが,彼の父親もハンガリーでは有名な航空工学の専門家です。グライダー(滑空機)はハンガリーで人気のスポーツなのですが,1950年代に,このルービックさんが浮力の研究用に開発したグライダーは今でも人気で実用されているほどです。そうした創造性だけでも,興味深い家族ですね。私はハンガリー人でも,ルービックキューブはできません。(笑)

*そういえば,私の知人のお子さんは,欧米で医学の勉強をしたいと思ったのですが,米英など学費は,とくに外国人の場合とても高く,それに対してハンガリーでは医科大学で外国人の受け入れに積極的で,講義や研究も英語のため,ハンガリーで医学を学んでいます。

ハンガリーは昔から音楽留学は多かったのですが,医療,それに医療薬の開発も盛んで,研究機関で外国人の受入れもとても盛んです。日本人の留学生もたくさんいると聞いています。ブダペストだけではなく(ハンガリー第二の都市の)デブレツェンも学園都市で,日本人の留学生が少なくありません。日本の大学の学費より安く勉強ができるかもしれません。

*ちょっと大きいワイン屋さんでは,ヨーロッパのワインではフランス,イタリア,スペインやポルトガルに続いてハンガリーのトカイワインが並んでいますね。

トカイワインは,ハンガリーを代表するワインですが,日本ではまだまだ知名度が低いかもしれません。スーパーやコンビニでも見たことがないです。でも日本中のどこのスーパーでも,ハンガリーの産品を探すと一つだけ,大体見つかるものは何かわかりますか? ハンガリー産のハチミツですね。それとフォアグラでしょうか。これは高級食品で普段食べるものではないですが,多くが輸出されるのでしょうね。

*マンガリッツアという豚肉は?

これも最近流行りの,毛の長い豚の高級な希少種で,国の保護策で絶滅の危機から救われました。その豚肉は「国宝」指定で,私も食べたことがないですね。(笑)

*新型コロナウイルス感染症の終息後になりますが,ハンガリーを旅行するときのお勧めを教えてください。

昨年は日本とオーストリア=ハンガリー帝国が修好通商航海条約の締結から150周年で,さまざまな記念行事が行われました。ドナウ河クルーズなどハンガリーを観光で訪れる日本人は多いです。やはりブダペスト観光ですね,王宮の丘,ブダ城,国会議事堂や大聖堂など立派な歴史的建築も多くあります。なかでも国会議事堂はとてもすてきで,高さは96mあるのですが、大聖堂の塔の高さも96mです。これはウラル方面からマジャル人が移住したのが西暦896年で、それを祝福して96の数字に合わせているのです。ハンガリー王国の成立は聖イシュトヴァーンがローマ法王から王冠をもらった西暦1000年で,もう千年以上の歴史があります。1896年には建国1千年祭博覧会がブダペストで開催され,ヴァイダフニャディ城など建国当時のハンガリーの建築様式の建物が復元され,それが今でも残されています。

ブダペストの環状道路からは放射線状に道路が伸び,100年前の状態が保存され世界遺産になっています。いろいろな国の大使館など外交館街になっていますが,英雄広場や市民公園などが点在していて,とても美しいですよ。そこの小さな湖は冬になるとスケート場になります。温泉も有名ですね。

ハンガリーの緯度は高く北海道よりも北です。それでも北海道のように極端に寒くないし豪雪もありませんが,その日の気温が極端で20度も違うこともあり,朝夜はコートで昼間は半袖シャツ1枚なんてことも。気圧の変化も大きく,それで力を消耗しがちで倒れる人もいます。天気予報では,通常の予報のあと医学的見地から翌日の天気に関する注意がなされるほどです。血圧の注意とか自動車運転で朦朧としないように,とか。

とても美しいところなので,新型コロナウイルス感染が落ち着いたら,ぜひ皆さんに訪れてもらいたいと思います。

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